サザンオールスターズ/TSUNAMI

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2000年1月26日リリース
作詞:桑田佳祐
作曲:桑田佳祐
編曲:サザンオールスターズ

サザンオールスターズの44作目のシングル。本作のCDの初回盤は、紙製スリーブケース付きでパッケージのみ12cm(マキシシングル)サイズとなっている。この初回盤は商品入荷日(本作発売の前の日)の1月25日から店頭から消え、発売日には既に売切れという前代未聞の現象が起こった。

2000年12月31日には「TSUNAMI」が第42回日本レコード大賞を受賞し、ライブリハーサルの途中に横浜アリーナからTBSのスタジオへ行った。受賞した際に桑田佳祐は「やっとひばりさんの背中が見えました」と語った。

オリコンによる2000年度の年間シングル売上ランキング1位、歴代のJ-POPシングル・CDシングル・平成発売のシングル売上ランキング2位、歴代シングル売上ランキング4位。

サザンオールスターズ

メンバーは青山学院大学で結成され、1974年から断続的に活動が始まった。1978年に「勝手にシンドバッド」でメジャーデビュー。1979年に「いとしのエリー」が大ヒットし、1980年代には 「チャコの海岸物語」「Bye Bye My Love (U are the one)」などがヒットした。

1990年代になると「涙のキッス」「エロティカ・セブン」「あなただけを 〜Summer Heartbreak〜」「愛の言霊 〜Spiritual Message〜」の4作がミリオンセラーとなり、2000年には「TSUNAMI」がダブルミリオンを記録。

バンド名の由来は、桑田がアマチュア時代に藤沢青少年会館で行われたコンサートに向けてバンド名を考えようとしたが思い付けず、宮治淳一がポスターを作った際に間に合わせ的に命名し当日に桑田本人に伝えたもの。

宮治がニール・ヤングの『アフター・ザ・ゴールド・ラッシュ』をBGMにしてポスターを製作中、一息入れるために風呂でラジオを聴いていた際にファニア・オールスターズの来日コンサートの宣伝が流れ、風呂から上がった際につけっぱなしのレコードからニール・ヤングの「サザン・マン」が流れていて、これを組み合わせた際の響きが良い事と、当時桑田の家が茅ヶ崎市南湖(なんご)にあった事に掛け、「サザンオールスターズ」という名前を考え出した。

メンバー:桑田佳祐、関口和之、松田弘、原由子、野沢秀行
活動期間:1977年 ~ 1985年、1988年 ~ 1993年、1995年 ~ 2000年、2003年 ~ 2006年、2008年、2013年 ~


※情報はウィキペディアより
※2021年2月時点の情報

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