渥美二郎/夢追い酒

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1978年2月25日に発売、5枚目のシングル。

発売当時は鳴かず飛ばずであったが、渥美の全国を回っての地道なプロモーション活動が実り、発売から10か月後の1978年12月に日本有線大賞敢闘賞と全日本有線放送大賞努力賞を受賞。年明けの1979年に入ってからは爆発的な売上となる。

オリコンチャートでは、発売から約1年経ってトップ10に初登場。西城秀樹「YOUNG MAN (Y.M.C.A.)」・ジュディ・オング「魅せられて」に阻まれて、週間最高位は2位(7週連続)だったが、1979年の年間第1位を獲得した。なお、オリコンの週間順位が最高2位止まりでの年間第1位達成は、オリコン史上初めての出来事である。

オリコンの100位圏内に109週(1978年3月20日付〜1980年4月14日付)にわたってチャートインするロングセラーとなり、1979年末の『第21回日本レコード大賞』でロングセラー賞を受賞した。

累計売上は182.0万枚(オリコン)。公称では約280万枚とされる。TBSの『ザ・ベストテン』では、3週連続(1979年5月17日〜5月31日)で10位にランクイン。演歌で最初にベストテン入りした曲である。

渥美 二郎(あつみ じろう)

本名は、渥美 敏夫。駒込高等学校中退後、地元・北千住で流しの歌手として活動を始めるが、渥美本人はこれを“演歌師”と呼ぶ。

大山倍達が名付け親となり「渥美健」の芸名で、1975年の東映映画『けんか空手 極真拳』の主題歌『空手道』で、ワーナー・パイオニア(現ワーナーミュージック・ジャパン)から発売。1976年『可愛いおまえ』でソニー・ミュージックエンタテインメントからデビュー。1978年発売の『夢追い酒』は、翌1979年~1980年に掛けて約280万枚の大ヒットとなり、渥美の代表曲となった。ほか、1979年『忘れてほしい』、1983年『釜山港へ帰れ』などのヒット曲がある。

1989年にはスキルス性胃がんと診断されるが、克服する。2001年に日本コロムビア(2002年10月から2010年9月まではコロムビアミュージックエンタテインメント)に移籍。

『愛のデュエット』を皮切りに「千寿二郎(せんじゅ・じろう)」の名で作詞・作曲も手掛けるようになる。

生誕:1952年8月15日
出身地:東京都足立区
活動期間:1976年


※情報はウィキペディアより
※2020年12月時点の情報

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