藤山一郎・奈良光枝/青い山脈

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1949年リリース
作詞:西條八十
作曲:服部良一

「青い山脈」(あおいさんみゃく)は、石坂洋次郎原作の日本映画『青い山脈』の主題歌として1949年に発表された曲。

発表当初は藤山一郎と奈良光枝が歌っていたが、奈良が早世したこともあり藤山一郎の歌として有名である。

長年にわたって世代を問わず支持され、発売から40年経った1989年にNHKが放映した『昭和の歌・心に残る200』においても第1位となっている。

藤山 一郎(ふじやま いちろう)

本名は増永 丈夫(ますなが たけお)。東京音楽学校(後の東京藝術大学音楽学部)を首席で卒業。東京音楽学校で培った正統な声楽技術・歌唱法・音楽理論と、ハイバリトンの音声を武器にテナーの国民的歌手・流行歌手として活躍。

1930年代から1940年代にかけて「酒は涙か溜息か」・「丘を越えて」・「東京ラプソディ」・「青い山脈」・「長崎の鐘」など数多くのヒット曲を世に送った。

理論・楽典に忠実に歌ったことから正格歌手と呼ばれ、その格調高い歌声は「楷書の歌」と評された。1992年(平成4年)、スポーツ選手以外では初めて国民栄誉賞を生前受賞した。

生誕:1911年4月8日
出身地:東京府東京市日本橋区蛎殻町(現・東京都中央区日本橋蛎殻町)

活動期間:1921年 ~ 1993年

奈良 光枝(なら みつえ)

本名は佐藤 みつえ。昭和時代の歌手で、美貌の歌手として知られた。

1940年(昭和15年)3月、コロムビアのテストに合格し、16歳で専属歌手となる。
同年6月に「胡弓哀歌」を吹き込むが、検閲により発売禁止になる。二作目の「南京花嬌子」で流行歌手としてデビューする。

1942年(昭和17年)、ヒットがでない娘の将来を憂いた父親の嘆願で、作曲家の古賀政男門下となってから、藤山一郎とデュエットした映画「青空交響楽」の主題歌「青い牧場」が初ヒット。当初この曲は映画に主演した杉狂児と朝雲照代がレコーディングしたが、検閲当局(内務省警保局)から「(杉の)ヤギの鳴き声がふざけていてイカン」とのことで発売できずに、戦地慰問から帰国していた藤山一郎と古賀門下となった奈良光枝にお鉢がまわってきたということである。

他にも「雨の夜汽車」「青い山脈」「赤い靴のタンゴ」などのヒットを放ち、人気投票では常に上位にランクインするほどのトップスターとなった。

生誕:1923年6月13日
出身地:青森県弘前市

活動期間:1940年 ~ 1976年


※情報はウィキペディアより
※2022年3月時点の情報

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