太田裕美/木綿のハンカチーフ

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1975年12月21日リリース
作詞:松本隆
作曲:筒美京平
編曲:筒美京平・萩田光雄

「木綿のハンカチーフ」(もめんのハンカチーフ)は、太田裕美の4枚目のシングル。歌詞は4番まであり、西のとある地方から東京を想起させる都会に出た男性と、故郷に残された女性との遠距離恋愛が破れるまでを、男女の対話形式でストーリー仕立てにしている。

太田最大のヒット曲であり、累計売上枚数は、オリコンの統計では86.7万枚、ミュージック・リサーチ社の発表では150万枚以上。

1976年末、太田自身初出場となった『第27回NHK紅白歌合戦』の披露曲であり、1・3・4番を歌唱したが、紅白本番での「木綿のハンカチーフ」は、当時は放送時間の制約で1曲3分以内が原則であったこともあり、原曲よりも速いテンポで演奏されていた。

太田 裕美(おおた ひろみ)

本名は福岡 弘美(ふくおか ひろみ、旧姓:太田)。1972年(高校3年)の11月、NHKのテレビ番組『ステージ101』のレギュラーグループ「ヤング101」のオーディションを受け、「ショパンのワルツ」をひいて合格する。1973年1月から番組終了の1974年3月まで、ヤング101の一員として『ステージ101』に出演。同期メンバーには谷山浩子がいた。ヤング101時代の友人の姓名判断で、芸名を本名の弘美から「裕美」へと変更した。

1974年11月1日に「雨だれ/白い季節」でデビュー。キャッチフレーズは「まごころ弾き語り」。デビュー初期はフォーク調で、ピアノ弾き語りの曲が多かった。1975年、日本レコード大賞、日本歌謡大賞等で新人賞を受賞。

1975年12月に3作目のアルバム『心が風邪をひいた日』からシングルカットされた「木綿のハンカチーフ」が大ヒット。NHK紅白歌合戦には初登場の1976年から1980年まで、5年連続で出場した。

生誕:1955年1月20日
出身地:東京都荒川区
活動期間:1973年 ~


※情報はウィキペディアより
※2021年3月時点の情報

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