五木ひろし/長良川艶歌

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1984年4月21日リリース
作詞:石本美由起
作曲:岡千秋
編曲:斉藤恒夫

岐阜県の長良川を舞台にした「ご当地ソング」であるが、五木が発売したご当地ソングのシングル曲では最大のヒット作となった。

発売当初はB面が「徒然の花」であったが、8月25日発売分から「おはん」(東宝映画『おはん』主題歌)に差し替えられている。第26回日本レコード大賞・大賞(「夜空」以来2度目)、第15回日本歌謡大賞・大賞などを受賞。

累計売上はミリオンセラーを記録。1986年8月中旬までのシングルの累計出荷枚数は105.1万枚(徳間ジャパン調べ)で、同時点で五木のシングルとしては歴代3位のヒットとなっている(デュエット曲を除く)。

この作品のヒットにより、五木のオリコン調べによる全てのシングルレコードの総売上枚数が1000万枚を突破した。これはピンク・レディー(1979年)、森進一(1979年)、山口百恵(1980年)、沢田研二(1980年)、西城秀樹(1982年)、郷ひろみ(1983年)に続いて史上7人目の快挙であった。

五木 ひろし(いつき ひろし)

本名:松山 数夫(まつやま かずお)。演歌歌手、作曲家、俳優。身長173cm、血液型はA型。京都府生まれ、福井県三方郡美浜町出身。所属事務所は株式会社五木プロモーション。レコード会社は、ファイブズ・エンタテインメント。妻は元女優の和由布子。

幼稚園から小学校2年生までの3年間、三重県鳥羽市で暮らした。鳥羽市立加茂小学校に在籍していた頃から歌手になりたいと思っていたという。その後福井県美浜町に移り、父親は鉱山技師を辞め、建築用石材を扱う会社を興す。

元・阪神の川藤幸三は美浜駅を挟んで同じ町内の出身。1963年3月、中学を卒業した翌日、長姉を頼り単身京都へ移り、関西音楽学院に入学。一年後の1964年5月、作曲家の上原げんとを紹介され、プロ歌手を目指し上京。上原の内弟子となり、松方弘樹らと共に歌を学ぶ。なお、五木の歌が上手すぎ、松方は諦めて役者になったとのこと。

生誕:1948年3月14日
出身地:福井県三方郡
活動期間:1964年 ~


※情報はウィキペディアより
※2020年12月時点の情報

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