細川たかし/城崎恋歌

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2005年1月19日リリース
作詞:柚木由柚
作曲:弦哲也
編曲:前田俊明

細川 たかし(ほそかわ たかし)

歌手を志したきっかけとなったのは、井沢八郎のヒット曲『北海の満月』を聴いてから。中学校の卒業アルバムに『北海の心 満月の姿』と書いたほど少年時代の細川はこの曲が大好きであった。後に『北海の満月』の作詞&作曲コンビで『満天の舟歌』を歌っている。

上京する前は、札幌・すすきののクラブを中心に歌手活動。雰囲気が森進一に似ていたことから“札幌の森進一”と呼ばれていた。その活動に東京の芸能プロダクションが着目し、メジャーデビューを勧める。
この下積み時代にのちに妻となる女性と知り合い、1974年に結婚していたこともあり、単身上京することに迷いもあったが背中を押してくれたのは他でもない妻であった。「1年で売れなかったら戻る」と約束して妻子を残し、北海道から上京した。

北海道出身ということもあり、少年時代からスキーを得意にしていて、全日本スキー連盟(SAJ)公認スキーバッジテストで一級を取得している。またSAJ教育本部アドバイザーも務めている。
2010年にはスキーのジュニア選手育成とスポーツ振興を柱としたNPO法人『特定非営利活動法人細川たかしとワールドスキージュニア』を設立。
2011年から細川自らの名を冠したジュニアスキー大会『細川たかし ワールドスキージュニア大会』を創設、現在では35歳以上のスキーヤーを対象にした『細川たかし マスターズ・テクニカルカップ』も創設して二つの冠大会を毎年開催するなどスキー振興にも力を入れている。

大のハローキティ好き(いわゆる「キティラー」)。元々は少年隊の植草克秀にプレゼントとしてキティグッズをもらったのがきっかけで、自らの座長公演の際には楽屋にキティ柄の寝具一式を持ち込むという。自身とコラボしたハンカチを特注したこともある。

生誕:1950年6月15日
出身地:北海道虻田郡真狩村
活動期間:1975年 ~


※情報はウィキペディアより
※2020年12月時点の情報

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