相川七瀬/夢見る少女じゃいられない

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1995年11月8日リリース
作詞:織田哲郎
作曲:織田哲郎
編曲:織田哲郎

相川七瀬のデビューシングル。「SUPER NOVA RACING」CMソングとフジテレビ系ドラマ「Vの炎」エンディングテーマ。この歌で『第47回NHK紅白歌合戦』に初出場した。

また、織田が全面プロデュースした最初の作品でもある。モノクロームの上、相川の顔のほとんどに髪がかかって見えないジャケット写真には反対意見も多かったが、織田の一存で結局この形となった。なおデビュー曲にもかかわらず、40万枚近くを売り上げた。

相川 七瀬(あいかわ ななせ)

本名は佐伯 美咲(さえき みさ)。中学1年生の時に「中学3年生まで(歌手になる)オーディションを受けさせて」と母に頼み込み、最後の挑戦とした1990年(平成2年)に中学3年生(15歳の頃)でソニー主催のオーディションを受けるも結果は不合格。芸能界入りを諦めて大阪府立北淀高等学校に進学するが約1年後、オーディション審査員の織田哲郎(後のプロデューサー)から直接電話を受ける。

この時、自分の中で芸能界入りを諦めていたとして一度は断るも、この時に織田から自宅の電話番号を伝えられたため、約1年後に改めて織田に連絡し高校を中退して上京。歌手デビューのためにボイス・トレーニングを開始する。

1995年11月、織田のプロデュースによる「夢見る少女じゃいられない」でエイベックスのmotorodレーベルから歌手デビュー。相川七瀬をトータルプロデュースするにあたり、織田はそれまでの「前向きなガール・ポップ」に対して「前向きじゃないダークなロック」を全面に打ち出した。

1996年7月、ファーストアルバム「Red」をリリース。オリコンのアルバムチャート初登場で一位、現在までに245万枚を超すダブル・ミリオン大ヒットを記録した。同年10月発売の5thシングル「恋心」はミリオンセラーを記録し自身最大のヒット曲となった。年末には第47回NHK紅白歌合戦に初出場、「夢見る少女じゃいられない」を披露した。

2003年、デビュー以来共にしてきた織田のプロデュースを離れ、新たに岡野ハジメをプロデュースに迎える。出産後、ほぼ2年振りのライブハウスツアー「THE GIG ’03 LIVE IT NOW」により全国のファンに向け相川七瀬”完全復活”を印象付けた。 12月31日は、ナガシマスパーランドにて初のカウントダウンライブを行う。この頃、前世療法で自身が深く癒されたことをきっかけに、独学でセラピーに関する勉強をして、11月にはイギリスの団体からカラーセラピストの最高位免許「ティーチャーレベル3」を当時最年少で取得。翌年には、セラピーや占星術に関連する学校を設立するなど、多方面に進出する。

デビュー25周年を迎えた2020年(令和2年)、祭りを通じて「地域活性に携りたい」という思いから國學院大學神道文化学部を受験し合格した。

生誕:1975年2月16日
出身地:大阪府大阪市東淀川区上新庄

活動期間:1990年


※情報はウィキペディアより
※2021年4月時点の情報

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