山口百恵/さよならの向う側

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1980年8月21日リリース
作詞:阿木燿子
作曲:宇崎竜童
編曲:萩田光雄

山口百恵の31枚目のシングル。6分を超える長いスロー・バラード曲。この曲が事実上のラストソングであり、百恵からファンへのメッセージソングとなっている。

10月5日に日本武道館で行われたファイナル・コンサートでは最後に歌われ、涙を流しながらの歌唱となった。その後百恵は、マイクをステージに置いたまま舞台裏へと去っていった。

山口 百恵(やまぐち ももえ)

長男はシンガーソングライター・俳優の三浦祐太朗。次男は俳優の三浦貴大。

1972年12月、オーディション番組『スター誕生!』で、牧葉ユミの「回転木馬」を歌い、準優勝、20社から指名を受ける。同番組への出演応募のきっかけは、同い年の森昌子がテレビで活躍しているのを見て「自分も森昌子さんのようになりたい」と思ったこと。同番組では、審査員の阿久悠から「あなたは青春ドラマの妹役なら良いけれど歌手は諦めた方が良い」と言われる。

1973年4月、映画『としごろ』に出演し、5月21日に同名の曲で歌手としてもデビュー。森昌子・桜田淳子と共に「花の中三トリオ」と呼ばれた。

1980年10月5日に日本武道館で開催されたファイナルコンサートは、一時代の終わりを告げるコンサートとなった。会場に殺到したファンに対して「私のわがまま、許してくれてありがとう。幸せになります」とメッセージを言い残し、そして最後の歌唱曲となった「さよならの向う側」で堪えきれずに、涙の絶唱となった。歌唱終了後、ファンに深々と一礼をした百恵は、マイクをステージの中央に置いたまま、静かに舞台裏へと歩みながら去った。このファイナルコンサートの退場は伝説として語り継がれている。

引退時は21歳(22歳の誕生日の約3か月前)で、芸能人としての活動はわずか7年半ほどだった。引退までにシングルは31作の累計で1630万枚、LPは45作の累計で434万枚を売り上げ、1970年代最もレコードを売り上げた歌手だった。

生誕:1959年1月17日
出身地:神奈川県横須賀市
活動期間:1973年 ~ 1980年


※情報はウィキペディアより
※2021年3月時点の情報

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