鶴田浩二/赤と黒のブルース

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1955年リリース
作詞:宮川哲夫
作曲:吉田正

“歌う映画スター”として人気絶頂にあった俳優・鶴田浩二の歌でレコードが発売され、大ヒットした。鶴田浩二の代表的なヒット曲のひとつであり、この歌のヒットによって、鶴田はトップスターとしての地位を不動のものにした。ムード歌謡の初期のヒット曲でもある。

同名の映画である「ギャング対ギャング 赤と黒のブルース 」は東映でこの曲の発表から17年後の1972年に公開されている。

2009年には実娘・鶴田さやかがCD「涙の宝石」内で現在の編集技術を使い、「好きだった」とともにこの曲を仮想ではあるが父娘デュエットを果たしている。

鶴田 浩二(つるた こうじ)

本名は小野 榮一(おの えいいち)。戦後派として登場し、甘さと翳りを兼ね備えた抜群の風貌で一躍トップスターに躍り出た。

初期はその甘い表情でアイドル的人気を博したが、中年期からは任侠映画や戦争物でみせた渋い魅力で、日本映画を代表する大スターとして長らく君臨した。また、独特の哀愁を帯びた声と歌唱法により、歌手としても人気が高かった。

生誕:1924年12月6日
出身地:兵庫県西宮市

活動期間:1948年 ~ 1987年


※情報はウィキペディアより
※2021年1月時点の情報

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