松田聖子/赤いスイートピー

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1982年1月21日リリース
作詞:松本隆
作曲:呉田軽穂(松任谷由実)
編曲:松任谷正隆

松田聖子の8枚目のシングル。松田の楽曲の中で特に人気の高い曲の一つであり、松田自身も好きな曲として挙げる事が多い。また、この曲を境に同性(女性)のファンの比率が上がったと語っている。

松任谷由実作曲による聖子への最初の提供曲。当時女性に影響力があったユーミンが楽曲を提供したことで、聖子自身も女性ファンの獲得に成功した。

本曲発表当時、スイートピーの主流は白やクリーム色、ピンクなどが主流で、「赤いスイートピー」は存在しないと思われていた(実際には、1800年ころには既に存在していた)。本曲がヒットして以降、品種改良して作った鮮やかな色の赤いスイートピーが売られるようになった。

松田 聖子(まつだ せいこ)

1970年代を代表するアイドル山口百恵が引退する年の1980年4月に、「裸足の季節」でレコードデビュー。その伸びのある歌声で注目され、リリースしたレコードが次々とヒットを記録する1980年代を代表するアイドルとして活躍した。

類い稀な声質と「ぶりっ子」と言われるほどの可愛らしい仕草や容姿が相まって人気を博し、トレードマークであった「聖子ちゃんカット」と呼ばれるヘアスタイルを模倣した若い女性たちが当時の街中に溢れかえった。

後に中森明菜と人気で争うようになり、1980年代を知るファンの間ではザ・ベストテンにおける順位争いや、当時頻繁に行われた「聖子と明菜のどちらが好きか」という質問が語り草となっている。

楽曲の記録としては、1980年の3枚目のシングル「風は秋色」から1988年の26枚目のシングル「旅立ちはフリージア」まで、24曲連続でオリコン週間シングルチャート1位を獲得。これはピンク・レディーが当時持っていた9曲連続を大幅に塗り替える記録であり、CDバブルを迎えた2000年に破られるまで11年10ヶ月間保持していた。

生誕:1962年3月10日
出身地:福岡県久留米市荒木町
活動期間:1979年 ~


※情報はウィキペディアより
※2021年3月時点の情報

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