大川栄策/さざんかの宿

この記事は約2分で読めます。

本ページはプロモーションが含まれています

1982年8月1日リリース
作詞:吉岡治
作曲:市川昭介
編曲:竹村次郎

大川栄策33枚目のシングル。累計180万枚の売り上げを記録しており、大川にとって最大のヒットとなった。作曲の市川昭介は作品の出来によほどの自信があったようで、曲を書き上げるとすぐに大川に楽譜を見せたくなり、彼の自宅に行って玄関先で帰りを待ったという。

大川 栄策(おおかわ えいさく)

本名は荒巻 逸造(あらまき いつぞう)。佐賀県立佐賀商業高等学校を卒業と同時に上京し、作曲家古賀政男に弟子入り。そして1969年に日本コロムビアより「目ン無い千鳥」(兄弟子:アントニオ古賀のB面だった)で念願のデビューを果たし、リバイバルヒットとなる。以後、地道に“古賀メロディ”を歌い続ける。

芸名は、出身地の「大川」を「栄」させる対「策」に由来するものであり、命名も古賀である。

生誕:1948年10月30日
出身地:福岡県大川市

活動期間:1969年 ~


※情報はウィキペディアより
※2021年1月時点の情報

タイトルとURLをコピーしました